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石油ストーブの思い出 [雑記・・・愚痴かも]

子供の頃から暖房機器と言えば、まず石油ストーブ。

生まれた家では煙突付、石油タンク別置きの大きな石油ストーブだった。
それ1台で家中を暖めるのだ。
イモなんかを入れて焼くことができるスペースがあったように思う。

家が建て替えられてからは、各部屋で小さな反射型石油ストーブを使うようになった。
当時の反射型石油ストーブは、鉄の燃焼筒があり、その上部が半球状の金網だった。
この金網が赤熱され、遠赤外線を放出する。

ある時、新しい石油ストーブが家にやってきた。
不思議なことに、燃焼筒の横に丸い鉄板が立っている。
それはなんと、、、感震自動消火及び緊急消火のためのメカニズムだった。
緊急消火動作が発動すると、燃焼筒が90度横倒しになって燃焼中の芯がむき出しになり、そこへ横に立っていた丸い鉄板が倒れてきて蓋をし、火を消すのである。
もちろんそれはバネの力によって一瞬で動作する。
ただし、その後は真っ白に気化した灯油ガスがモクモクと出て、えらい臭気に包まれる。
このメカニズムの石油ストーブは後にも先にもこの1台だけで、他に見掛けることはなかった。

その後は、緊急消火動作として燃焼中の芯をバネの力を使って一瞬で引っ込めて消火するメカニズムが登場し、おそらくこのメカニズムに統一された。
こちらも臭気は出るが、蓋式に比べたら微々たるものである。

ひとり暮らしを始めたとき、馬鹿な自分は電気ストーブを購入してしまった。
残念ながら北東北の冬では手を炙れるのみで部屋は暖まらず、結局翌年に石油ストーブを買った。
小さくとも石油ストーブだったが、幸せなほどの暖かさを手に入れることができた。

社会人になってからは石油ファンヒーターを愛用していたが、親と同居することになった際、大雑把に20年ぶりで石油ストーブを買った。
この反射型石油ストーブの燃焼筒は、外側がガラスの円筒になり、その内側の鉄板が赤熱して遠赤外線を放つようになっていた。

そして大震災が起こったとき、石油ストーブのおかげでほとんど不自由なく被災生活を送ることができた。

徐々にファンヒーターやエアコンに押されて石油ストーブは減少の一途をたどっている(と思う)のだが、ちょっとだけ持て囃されたことがある。
まずは2000年問題の時。
ライフライン途絶した時の保険のために売れたが、結局そのために使った人はいなかっただろう。
後は大震災のあと。
これは実際に使うために買った人と、今後の災害に備えるために買った人がいるだろう。

とにかく1台あると、緊急時には本当に便利である。
たとえ広い部屋であっても、傍に寄れば非常に暖かい。
煮炊きも可能。

石油ストーブよ、フォーエバー!

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